kawaの日記

どうにかしてボールを打ってやろうと編み出した練習法を綴ったおっさんゴルファーの日記

登戸で起こった事件について

男が包丁で次々に19人を刺したあと自分の首を刺して死亡。狙われたのはスクールバスを待っている小学生。女子生徒1名と男性1名が亡くなった。川崎市の登戸で痛ましい事件が起こってからおよそ2週間経った。

 

ニュースを聞いたとき戦慄した。子を持つ親の身としてこの手の事件は他人事に思えず痛恨の極みである。何の罪もない子供達が何故このような仕打ちを受けなければならなかったのか。激しく憤りを感じた。ご家族の悲しみはとても想像できるようなものでは無く、これから訪れたであろう子供との将来を奪い去った男の罪深さは計り知れない。男はどんな思いで犯行に及んだのか。もはやそれは常人が想像できる範囲を遥かに超えている(と思う)。

 

他人を巻き添えにして自分も死ぬことを「拡大自殺」と呼ぶらしいが、それに至った経緯は何だろうと他人の人生を台無しにする行為は到底許される筈が無い。しかも予め用意した包丁で計画的に自分より弱い者を狙うとは卑劣極まりないテロ行為だ。

 

世間で賛否両論を呼んだ「死にたければ一人で死ねばいいのに。」とそのとき僕はつぶやいていた。

 

そのフレーズはインターネットを介して多くの人に刺激を与えた。

 

憎むべき犯人がこの世から居なくなり、人々の怒りはその周囲に拡散した。事件に関するコメントを発信した識者や、ブロガー、インタビューにちゃんと答えられなかった一般人、そしてテレビのアナウンサーやコメンテーターまで槍玉に挙げられた。小学校の児童にまでコメントを求めたマスコミの人は上司にクソほど怒られて反省してほしいと思うが。しかし怒りをぶつける相手はちょっと違うんじゃないか?という圧倒的違和感をそのとき覚えた。それはそれで事件とは別次元の怖さを感じた。賛否両論の中、主語や論点がズレて最後はアベさんのせいになったり…。

 

興味深かったのは犯人の人物像を調べた記事だ。凶悪な犯罪者となる人は大人に成長する過程で恵まれた境遇に置かれていなかった事が多い(ような気がする)。先天的な要因もあるかもしれないが、それを周りの環境が手助けする事は間違いない(と思う)。

 

僕が社会人になって感じたのは「人を助ける」事の難しさだ。良かれと思って行動した事で恨みを買う事もあるし、第一に自分や家族の事で精一杯になって人助けをする余裕などないときの方が多い。生きていくのは結構大変なのだ。

 

くだらない世の中でも面白いと思えることが1つでも有れば人生勝ち組だと思っている。理想を求めて誰かを批判して生きて行くより面白い事を誰かと共有して過ごしたほうが100倍気楽なのではないだろうか。

 

何かに行き詰まったときはそう思うようにしているが、本当に全ての事に絶望したとき僕がどうなってしまうのかはわからない。少なくとも関係ない人達を巻き込んだテロ行為に及ばないよう祈るばかりである。

 

僕が生まれ育った場所の近くでこのような事件が起こったのは非常に悲しい事だが、登戸はとても平和な町だったと言うことは延べておきたい。